長めのやつ

Twitterに対して長めの日常の記録とか思い出したこととか

『きみは赤ちゃん』を読んで

前述のように人間を新たに生むということについて悩みに悩んでおり、ただしかし内容がどうにもデリケートであまりに個々の人間の個人そのものの状況やら価値観やらに依存しすぎる内容であるからして、他人に相談したとてただただ「難しいよねえ」という気持ちに共感しあうばかりで、何の解決にもならないなと思うようになった。

子なしの側で話せば、ほしい気持ち、キャリアの不安、いまだとは思えないけど先延ばしして不妊になる可能性の心配、等々。仕事柄、現代医学により命拾いする母子ばかり見ている身からすれば、現在の不満もない生活からわざわざリスクを取りに行く(妊娠出産する)のはとてもじゃないが正気じゃできない、考えれば考えるほど難しいように思われてくる。短絡的ではあるが、デキ婚くらいのほうがいいのかもしれないとさえ思う。

一方子供ができた友人もちらほら出てきた。親になった感慨、子供を育てて毎日気づかされること、自分が人生を追体験するということなんかを語っていて、たしかに親にならなければ一生知ることのない世界線が広がっているのもまた事実のようである。

出産や子育ては十人十色であって、いくら体験談を集めたからって自分がその知っているパターンになるかどうかはわからないけれど、とりあえず感性の似た人間のレポートを読みたいと思って手に取ったのが「きみは赤ちゃん」(川上美映子)である。もしかしていつか私が体験して私に生じる感情が、もしそこにすでに書いてあるのならば、配偶者に読ませておくと話が早いんじゃないかと思ったり。

 

川上美映子氏との出会いは私が中学3年生の時で、ちょうど高校受験をする頃に川上氏は芥川賞を受賞した。高校受験の前の日、受験する高校の下見に入れる時間より少し早く到着してしまって、しかし外は我慢できないほど寒く、ちょうど高校の近くにあったコンビニに入って暖をとることにした。狭いコンビニで時間をつぶそうと手に取ったのは芥川賞受賞作掲載の文芸春秋だった。当時読書少女だった私は、乗ってきた地下鉄の広告にも載っていた「乳と卵」というちょっと内容の読めない、なんとなく官能的な感じもするその小説のタイトルにひかれていた。読み始めて気づいたら下見に入れる時間になっていた。ぱらぱらページをめくるとかではなくガン読みしてしまったその雑誌を知らんぷりして店を出るのも気が引けて、それは買って高校に向かった。下見といっても大してやることはなく、さっさと家路につく。帰りの地下鉄で、高校受験の勉強はもうめいいっぱいしたので、前日くらいもういいかなと思って乳と卵を読みふけった。小学校高学年の緑子の潔癖な態度に私は胸を打たれてしまった。女に生まれてしまったからには二次性徴が来たり子供を産んだりして身体つきが変わっていく運命からは逃れられず女として生きてゆくのだけど、それは損な役回りなんではないかみたいなことを以前から時々考えていたので、こんな私が考えていたことが私の何十倍もの解像度で書かれた本があるんだと気持ちのいい出会いであった。

あとは『夏物語』。乳と卵の登場人物のその後の話で、いわゆる反出生主義(うまれてこないほうがよかったのか?)とか、精子提供とか、より現代の生にまつわる話題の本である。が、この本ではとくに結論というのは示されず、答えがほしくて読んでいた私は少しがっかりしたものだった。

川上氏は一児の母であり、その妊娠出産~産後1年までのエッセイをまとめたのがこの『きみは赤ちゃん』である。ずっと前にちらっと手に取って、でもそのときはnot for meだなと思ってよく読まずにいたが、今見てみると知りたかったことが書いてある!川上未映子氏は私が考えそうなことはだいたい先回りして書いてくれている。

この本ではなんで子供を作ろうと思ったのかはほとんど触れられていない(本文には「いろいろな偶然や、考え方との出会いがかさなって、子どもを作ることに決めた」とある)。本には妊娠に取り組み始めたところから育てるところまで、川上氏の感性でとらえた出来事が、感情の揺らぎもふくめて、変に美化されることもなく克明にとらえられている。(私が妊娠~子育てエッセイで嫌いなのは、最後に「すごい苦労!だけどやっぱり幸せ☆」みたいな、なんかわからんポジティブでてきとうな締めくくりをされることなのだが、川上氏はそういうことはしない)

川上氏は夫と対等な関係を築いていて、夫もある程度(料理以外)の家事をやり協力的なんではあるが、それでも川上氏は不満と不安の渦に巻かれて大変なことになっている。ホルモンや睡眠不足なんかでたぶん気がおかしくなっているせいで感情の振れ幅がばかでかくなってしまうようなのだ。日々の事実としての出来事とその感情的な自分の目線とを冷静に書き連ねているので塩梅が良い。

私は妊娠してない平時の状態でも話題によっては結構感情が動いて、逆に配偶者は常に凪みたいな感じであるんで、もし妊娠なんてしたらそのギャップがどんどんひどくなるのかとおもうと気が滅入る。作中で川上氏がわけが分からないがぽろぽろ泣くシーンが何回もあるけれど、もし私が妊娠しても多分そうなる。産後も多分私が夜中に起きて対応することになるんだけど、きっと同じように寝ている配偶者をものすごく恨めしく思うのだろう。それで配偶者に対してキレるところまでは想像がつく。そして配偶者から逆切れされたらどうしよう、一生修復不可能な傷になってしまう気がする。「産後クライシス」という言葉が定着しているくらいなのだから、この時期には珍しくないことなのだろうけど乗り切れる気がしない。

配偶者に読ませる読み物としてはたぶんこの『きみは赤ちゃん』が一番現実に近そう(あまり比較対象がないけど今のところ)。現実に近いというか、川上氏の心の動きが克明に描かれているのがよい。女の人ってそんなふうに感じたりするんだみたいなブラックボックスを言葉で説明してくれていると思う。

この本の産後クライシスの章のあたりで「出産を経験した夫婦とは、もともと他人であったふたりが、かけがえのない唯一の他者を迎えいれて、さらに完全な他人になっていく、その過程である」とあり、まあたしかにそうなんだとはおもうんだけど、しんどい。私以外の誰も私ではなくて、他者とは本質的には分かり合えないのである。気の合う二人が相手を気遣いながら楽しく暮らす分にはいいけど、もう一人のさらに大切な人間がでてきたら互いに理解できない(と意識される)ことが目に見えて増えそうだ。

ちなみに読書を薦めようとしたらすでに仕事で読むべきものがいっぱいあってそれどころでないといわれてしまって一回キレました。道のりは遠いな。