長めのやつ

Twitterに対して長めの日常の記録とか思い出したこととか

完璧だった先輩との不完全な再会と新しい出会い

倉敷の綺麗な街並みを散々歩き回って夕方になって、会う約束をしていた後輩が時間に遅れると言うので、暇になって彼らの職場の近くを歩いてみようと思った。別々に会う約束をしている私の後輩と、私の先輩は、別々の知り合いだけど同じ病院で働いている。どんなところで働いているのだろうか。歩いていたら後輩から連絡があって、現在地を教えると「走っていきます」と言うのだが、結構なスピードで本当に走ってきたので笑ってしまった。どうやら私が歩いていた辺りに住んでいるらしい。

三連休の真ん中だったので店はどこも混んでいて、少し歩いて地酒の立ち飲み屋に入った。そうこうしているうちにその後に会う約束をしていた先輩もやってきた。先輩と後輩は職場では仕事上時々顔を合わせて話す立場らしい。本当は別々に会う予定だったけれど、三人で飲むことになった。

 

6年ぶりくらいに会った先輩は、記憶の中の先輩よりも少しだけ丸くなって、前髪が少し長くなっていた。「え、今回いったい何しにきたの、別に学会とか出張とかじゃなくて?暇だから?それで同じように暇してそうな俺に声かけてみたってこと?」みたいに言ってきて憎たらしい。そんなわけない、そもそももう何年も近況は知らないのだ、先輩が暇かどうかは知らなかったけど先輩に会いたくて来たんですよと思うが上手く言い表せない。

記憶の中の先輩は大学を卒業して働き始めた頃で止まっているので、将来の不安に対してもポジティブな印象しかない。しかし彼も働き始めて8年、さすがに少し倦んでいるようだった。職場の愚痴とか、趣味がないこととか、結婚を考えている彼女の話とか。お互い働き始めてしばらく経った身で、以前よりも等身大の先輩に触れた気がする。

なんだか、親が完璧な人間じゃないと気づいた瞬間にちょっと近かった。彼は私にとっては完璧な先輩だったので。しかしそれは学校の部活という上下関係がはっきりした世界のロールプレイみたいなものの中で彼が完璧な先輩を演じていただけで、別に彼が完璧な人間かどうかということとは関係がないのだった。久しぶりに会う先輩は、先輩だけど前よりももう少し同僚に近い立ち位置で、もう完璧な先輩ではなく、その分先輩の日常の悩み事みたいなことが垣間見えて、少し寂しいような嬉しいような、不完全な再会と新たな出会いだった。

この先勤務先をどうしようか、みたいな話の流れで、私が数年後にはきっと引っ越さなきゃならないことの説明でついに結婚をした話になった。隠していたわけではないし指輪もしていたけれど、特に質問されなかったし言わずにいたら、指輪にも全く気づいていなかったみたいでひどくびっくりされて、結婚祝いもせずごめんねみたいなことを言われてしまった。男の人ってほんと指輪とか全然見ていないよね。左側に座っておいて全く目に入らないことってある??

そうか〜お前も結婚したのか。俺より先に次の段階に行ってたのか〜みたいなことを言われて私は「結婚したら次の段階に進んだって言えるんですかね」「段階って進めば良いものなんですか」とか問い詰めるように質問していたら待て待てお前また難しく考えすぎているぞ、と諌められ、先輩は変わってないなーと笑ってくれた。私はこのやりとりが大好きだ。酔っ払った私が「人生の意味とは?」みたいな大きすぎる問いを立てては先輩にそんなこと考える意味はない、目の前のことをやっていくしかないんだと諌められるのがちょっとした定番、お約束みたいになっていて、これがものすごく好きだ。多分そうやって思考の悪い癖みたいなのをはっきり指摘してくれる人が他にいないから、先輩にはそうやって言ってもらえるというのを確認しては安心しているのだ。

記憶の中の先輩はもっとたくさんお酒を飲み、話し飽きるまで話をし、締めのラーメンを食べていたが、もうそうではないみたいだった。店を出て、それじゃ、というと手を振ってさっさと一人で歩いて行ってしまった。私はまた会いましょうねと言ったけれど、また会えるかどうかはよくわからなかった。私の先輩はもう完璧な先輩ではなくて、先輩だけでないその人本人と会うとなると、先輩でない部分の本人と私はどのくらい親しいのだろう、どのくらい共有できる会話があるのだろうと思ってしまった。そもそも先輩は今回みたいに会うためだけに会いにいくようなことはもうないだろうなという思いが背中を見送りながら漠然と浮かんできた。もっというと、もう会うのは最後なのかなということが浮かんできたけれど、そんなことはないと思いたい。何かのついでに会うことは無くはないかなと思う。次会うときにはどちらかに子供ができたりするのだろうか。飲みに行ったりできるだろうか。またたまには一人旅ができればいいなあ。

 

ホテルに帰ってきてLINEを見ると、先輩から結婚祝いのギフトが送られてきていた。LINEってそんな機能あるんだ、知らなかった。そんなの送ってくれなくていいのに。嬉しいようなむず痒いような中に、ムカつく気持ちが少し混ざっていた。結婚したからなんだっていうんだ。久しぶりに一人で出かけて孤独と自由を満喫し未婚の知人たちに会ううちに、段々結婚することがめでたいのかどうかわからなくなってきていた。いやめでたいことなんだけどさ。結婚したと言った途端に「結婚した側の人」カテゴリに入れられたことにムカついたのだと思う。結婚したって仕事が楽しくなるわけじゃないしこの先の人生の最適解は相変わらず見つからないし人生は意味不明ですよ。

 

ホテルに戻る途中に買った独歩の限定ビールを飲みながら酔っ払った勢いで先輩に返信してみた。「個人的には新しい生命を生み出すみたいなのが謎すぎて困っているところです。ご指摘の通り人生とはみたいないらんこと考えがちですね。」

返信はこうだ「とりあえずやってみてはどうでしょう?ダメならその時にまた考えたら良いですよ 完璧はどうせ無理だし、でも今まで生きてて大事なことをひどくいい加減にやるような無責任なこともしてないでしょ?それならどういう結末になってもある程度は大丈夫なんじゃないかな?」

とまあ信頼されているのか宥めるための適当な言葉なのかよくわからない。先輩はいつもそうだ。お前は大丈夫だからとりあえずやってみなよみたいなことを言う。

先輩は千葉雅也が好きかもしれないなと先に書いたが、やっぱり千葉雅也みたいなことを言うなと思った。「身体の根本的な偶然性を肯定すること、それは、無限の反省から抜け出し、個別の問題に有限に取り組むことである。」

とりあえずやっていくしかないんだなと思う。お前は大丈夫、というのが宥めるための適当な言葉かどうかは別として、その言葉が私のお守りになっている節はある。先輩に大丈夫といつも言ってもらえる私なので大丈夫。仕事したくない時もあるけど、これからも先輩に大丈夫って言ってもらいたいから、働き始めての年数に相応のことはできてなきゃなと思う。どこかの精神科医が「人は扱われたように振る舞う」というのがあったけど、それはかなり正しいと思う。先輩が私を信頼に足る人間として扱ってくれるから、私は信頼してもらえる人間になろうとするのだ。