長めのやつ

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妊娠出産子育てが怖すぎる

前回の記事を書いてから2ヶ月以上経ったが、未だに勝手に焦るばかりで子供を設けるかどうかについて気持ちが定まらない。それで配偶者と話してみたり、知人女性や妹と話してみたり、本を読んだりして過ごしている。

前回問題にしていた、「この世に生まれてくるせいで不幸を生じさせてしまうのでは?」みたいなことは少し気にならなくなってきた。どの人間も100%親のエゴで生まれてきているのだ。もしかしたら不幸を作ることもあるかもしれないが、それが人生なんだししょうがないか、という感じでいい塩梅に鈍感になってきた。

そういった哲学的な存在への問の次には、現実的な、本当にやっていけるのか?という問いが来る。私はあまり家庭的な方の人間じゃないので、まずは相手が協力的でないと絶対に無理だ。あとは心が狭いので、妊娠出産に伴う体調や体の変化に対して心無い一言を言われたりしたら一生根に持つと思う。そして妊娠出産で受ける体のダメージが怖いので、どうしても積極的に「ほしい!」という気持ちにはなれない。運が悪かったら生死の境をさまようし、めっちゃ安産だったとしても産後一年くらいはどこかしら体の調子が悪いと聞いた。怖すぎる。

そんなわけで私の現時点での子を設けることについての気持ちは「ほしくないわけじゃないけど‥(配偶者のやる気次第)」という感じだ。配偶者のほうはというと「どちらかというとほしいけど、生みたくないっていうなら無理しなくていいと思う」で、どちらも最後のひと押しをするほどの強い希望も勇気もなく、堂々巡りになってしまう。

私が妊娠出産子育てについて先回って心配しすぎるので、それで配偶者はそんなにネガティブに思っているならしたくないんだろう、と思っているようなのだが、そういうわけではない。生むのを真面目に検討しているから心配しているのであって、生みたくないなら逆にそんな心配する必要すらない。

話し合いの中でそういう齟齬が生じたとき、配偶者に「そんなにネガティブなことばっかり言うんだったら今はやめておこう」みたいなことを言われて、凄くショックで泣いてしまって、そしてそれにショックを受けている自分にも驚いた。いらないと言われるとは思っていなかった。それまで意識していなかったけど、私の中には知らないうちに正解の筋道みたいなものができていて、そこから外れたせいで今ショックを受けたらしかった。ぼんやり思い込んでいた正解は、「子供が欲しいから生んでほしいし、なるべく負担が軽くなるように自分(男性側)も頑張る」しかないみたいだった。

実際のところそれ以外の正解も全然ありえる。二人でのんびり時間とお金に余裕を持って暮らしていこうという選択肢もあると頭では思っているのだがいかんせん焦っているのでわけがわからなくなっている。

配偶者は「どちらかというと欲しい」とはいうが、前に飲み屋での与太話で、自分の遺伝子を残したい願望について語っていた。きっと基本的には欲しいのである。でも私を尊重するために「どちらかというと」とか言う。今は私を尊重してくれるが、もし10年後くらいに仲が冷めて、周りの友人が子持ちばかりになったときにやっぱりどうしても子供が欲しいとか思ったとして、それでも私を尊重してくれるだろうか?怖くてしょうがない。