長めのやつ

Twitterに対して長めの日常の記録とか思い出したこととか

勝手に不自由になっている

大学卒業までを地元で過ごして、就職は知らない土地にすることにした。
地元が嫌いなわけじゃない、住む分にはどちらかというと好きだ。それなりに都会で交通の便もよく、飲み屋街も充実しているし、友人もいるし実家にもすぐ帰れる。雪は降るけど屋内は暖かいし(そもそも雪が降るのが当たり前だと思っているし)、夏は涼しくて好きだ(夏に東京に出かけると、こんなバカみたいな気候の場所に首都作ったのなんで?!と思っていた)。でもどことなく閉塞感というか、閉塞感というほどではないが、北海道の中で完結しているので逆に出てゆく理由もなく、ほかの都市とは隔てられている感じがずっとあった。就職を道内でしたら一生この中で生きていくんだろうという感じがあった。それで就職は知らない土地にしてみることにした。もしダメだったらまた地元に戻ればいいし。

 

仕事は大変で骨が折れたけれど、住む場所についてはあまり問題には感じなかった。もともと実家からは少し距離を置いていたし、帰る頻度はさらに減ったけれどホームシックにはならなかった。便利な時代なので友人とは手軽に連絡が取れるし。でもやっぱり連絡をとれるのと実際に会うのとはちがう。

大学時代までと働き始めてからの友人は別物だと思う。というか、働き始めてからできたのは同僚であって、友人ではないか。そもそも出会う人間の数が全然違う。大学時代は同級生だけで100人くらいいて、部活やらなにやらで先輩後輩の知り合いがいて、その中から気の合う人と仲良くしていたけど、働き始めてからは10人くらいの同僚たちとうまくやっていかなければいけない。もちろん気の合う同僚というのもいるけれど、仕事の上での関係というのが大きすぎる。

私の大学時代の友人は日本各地に散らばっていて、本当は今住んでいるあたりにもちらほらいるはずなのだけど、このあたりに引っ越してきたのと同時期からコロナ禍なので会えていない。コロナ禍になってから全然昔からの知り合いに会えていない。これが3年ほど経過した今、じわじわと私を悲しく暗い気持ちにしている。
コロナ禍になったのと前後して恋人と半同棲のような生活になったのでこれまでどうにかやってきたが、恋人と職場以外でまともな会話をする相手もおらず、もう限界だ。もともと友人に会って話すのが好きだったのに、職場のために我慢するなんて、そんなの。

ずっと会えてないなあと思ってなんだかすごく悲しい気持ちになってうっかり涙ぐんでいたら、配偶者に「会いに行けばいいよ!」と言われて、でもどうせ土日にも仕事があるし…と思いつつカレンダーを見たら、全然休みだった。会いに行けないものだと思い込んでいたけれど、行けない具体的な理由を探してみると、実はそんなもの無かった。
去年職場に欠員が出て、夏期休暇なし最低限の年休5日以外の休みなしで働きづめだったので感覚がマヒしていたのか。
そもそもこの業界って結構忙しくて土日も職場にいるの当然みたいなところあるし、なんだか土日にさっと旅行に行くことに思い至らなかった。

少なくとも今年度は休みを取ろうと追えば好きな時にとれるし、交通費や宿泊費に困る暮らしではないし、まあ国外はまだいろいろ面倒かもしれないが、国内なら全然どこにでも行ける!自由だったのをすっかり忘れていた。

大学の時に1年だけ在籍していた部活の先輩に連絡を取ってみた。部活でお世話になったのは1年だけだったけど、その後も時々飲みに行ったりして、なんか哲学的なこと言って諭してくれたりする、ちょっと大学の中では異色の先輩だった。最後に連絡したのは3年くらい前、私が働き始めてから少し疲れてしまった、というようなときで、もう履歴は消えてしまったけど、そういうのを繰り返しながらもできるときに頑張ってトータルとして成長していけばそれでいいんだよみたいなこと言われた気がする、とにかくその返事に私はとても救われたのだった。
運動部でそれなりに体育会系のノリの部で、その先輩も普段そのノリを普通にやっていたけれど、そのノリ以外で話もできる人だった。私たちの専門分野の勉強だけじゃない、もっと社会一般のこととか人文系のこととかにも詳しくて、そういうところが人間として、生きていく姿勢としていいなと思っていた。何より、私が何か悩んでるみたいなそぶりをしたら忙しくても話を聞く姿勢を作ってくれて、大事に扱ってもらった。そういう経験が、その先輩に恥ずかしくないように仕事をしようとか、ちゃんと世界のことを知り続けて考え続けながら生きていこうとか思うことにつながっている。

私が知っている先輩のLINEアカウントは果たして今も使われているのだろうか?と思いながら名前以外はデフォルト設定のままのアカウントに連絡をしてみたら、ちゃんと返信がきて会うのを快諾してくれた。
先輩は今何を考えながら生きているのだろうか。どんな暮らしをしているのだろう。結婚したのかどうかすら知らない相手に会うなんてなかなか無いな。少なくとも最後に会った7年くらい前はしていなかったけど。私は昔よりも物事を考えられる人間になっているだろうか?むしろ考えられなくなっているのでは?この数年に起こった身の回りのことはたくさんあるけれど、それに対する考察が全然できていないんじゃないか。会うまでに空いた時間があるから、千葉雅也でも読んでから会おうか。なんか先輩は好きそうな気がする。